『南游志』アルバム3〈古座川の怪岩奇峰を巡る〉

「大里正橋爪周輔の宅に入る。宅は溪上に在って、前に一島を對す。其の上は峭壁碧樹にして、亦佳境為り。」(『南游志』三月二十七日)

「舟を廻して島を繞れば、島北は巖樹深邃、清瀬聲有り。主人自ら言ふ。盛暑に遇ひ、舟に坐して其の下に午睡すれば、快甚だし、と。余、之に名づけて清暑島と曰はんと欲するも可ならんか。」(『南游志』三月二十八日)「曰く、少女峯、南岸に在り。笑顔嫣然として、蹁躚飛舞の態有り。謂ふ、昔十七歳の好女子有り。身を峯下に投ず。因って十七嶽と呼ぶ。甚だ典雅ならず。故に改めて命じて云ふ。」(同)

「曰く、玉筍峯、北岸に在り。地を拔き特り立つこと数十仭。碧尖天を指す。舊飯盛と名づく。甚だしくは相肖ず。故に改めて之に命ず。」(同)

「立合村を過ぐ。則ち藍瀬村と為す。巨巖在る所、漁夫、巖下を棹さして過ぐを望見す。舟を視れば芥の如く、人を視れば豆の如し。巖の大、知る可し。逼り視るに及べば、丘山に對するが如し。人をして駭き極まらしむ。…巖、舊名無し。但一枚石と稱ふるのみ。余、為に其の名を撰し、齊雲巖と曰ふ。巖、紫赤色。又其の一名を撰し、賽赤壁と曰ふ。但、蘇賦の斷岸千尺と謂ふは、則ち知る、赤壁の一全石に非ざるを。應に此の巖の奇に讓るべし。」(同)

「岸に對して一髙峯有り。松杉、巓を被ひ、雨點皴を成す。大米畫法に似たり。之に名づけて滴翠峰と曰はんと欲するも可ならんか。」(同)

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